現在、マーリンズに移籍したイチローが41歳ながらも年齢を感じさせない活躍を見せている。メジャーリーグでさまざまな記録を残した彼だが、日本時代はどうか。
1994年に登録名を"鈴木一朗"から"イチロー"に替え、振り子打法で大ブレイク。その年に首位打者とシーズン最多安打を21歳の若さで更新した。それ以降も日米の実力差はあれど、メジャー時代よりも高い成績を残している。そこで今回は日本時代のイチローの偉大な記録について振り返る。

【7年連続首位打者】


まずはなんといってもこれだろう。日本時代のイチローが首位打者のタイトルを獲ることはファンにとって当たり前の感覚であった。今振り返ればかなり感覚が麻痺していると思うが、首位打者獲得が当たり前に思えるほどイチローは凄かったのだ。
1994年に初の首位打者を獲得してから日本での最後の年となった2000年まで一度も首位打者を譲ることはなかった。
また、この期間のイチローの傑出度は凄まじく、2位との打率差が1分以内のシーズンが一度もない。さらに下の数字から分かるように.340を下回る年がないのも驚異的だ。

  イチロー  2位の選手
94年 .385   カズ山本.317
95年 .342   堀幸一.309
96年 .356   片岡篤史.315
97年 .345   クラーク.331
98年 .358   平井光親.320
99年 .343   松井稼頭央.330
00年 .387   オバンドー.332

【タイトル獲得数】


タイトル獲得数もイチローは桁違いだ。

首位打者:7回 (1994年 - 2000年)
打点王:1回 (1995年)
盗塁王:1回 (1995年)
最多安打:5回 (1994年 - 1998年)
最高出塁率:5回 (1994年 - 1996年、1999年 - 2000年)
年間MVP:3回 (1994年 - 1996年)
ベストナイン:7回 (1994年 - 2000年)
ゴールデングラブ賞:7回 (1994年 - 2000年)

ブレイクしてからは首位打者・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を一度も逃すことなく取り続けていることが分かる。さらにイチローはメジャー1年目に首位打者、ゴールデングラブ賞(ゴールデングラブ賞はその後10年連続で受賞)を獲得している。そのため日米通算すると8年連続首位打者、17年連続でゴールデングラブ賞を獲得したことになり、改めて継続して成績を残すイチローの凄さがわかるだろう。
また、22歳で迎えた1995年は特に驚異的なシーズンだった。首位打者・打点王・盗塁王・最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。本塁打を後3本打っていれば本塁打王も獲得できた。もし本塁打王を獲得していれば、史上類を見ない打者タイトル総なめを実現できていたのだ。

【通算記録】


打率.353
安打 1278
本塁打 118
盗塁 199
出塁率.421
長打率.522
OPS.943

こちらがイチローの日本での通算成績だ。なんといっても通算打率.353はもはや異常と表現できる数字だ。というのも1990年以降、1シーズンで打率.350を超えた選手は7人に留まる(複数回記録者はゼロ)。にもかかわらずイチローは9シーズンの平均でこれを超えているのである。また、イチローはメジャーでも打率.350以上を計4回達成している。
さらにイチローは長打率が5割を超えており、日本時代は長打力もあったことが分かる。

【三振しただけでニュースに】


イチローの三振がニュースで報道された時もあった。1997年4月16日から6月24日の間、シーズン連続打席無三振(216打席)の記録を達成した。しかもこの216打席中、空振りしたのはわずか8回しかなかったのだから驚きだ。イチローは記録が止まった時、「おーっ、(三振は)こんな感じだったな、っていう感覚ですかね。」とコメントしている。あまりに三振しないためにニュースになってしまうのもイチローだけだ。

【通算盗塁成功率も歴代一位】


さらにイチローは走力でも歴史に名を残すレベルだった。100盗塁以上を対象にした盗塁率では福本氏や赤星氏、松井稼頭央を抑え堂々の1位だ。(盗塁成功率.858)

【ブレイク前も凄い】


また、忘れがちだが、イチローはブレイク前の1年目と2年目の成績もなかなか凄い。
1年目には、高卒ながらファームで首位打者に輝くとともにジュニアオールスターMVPに。2年目には規定打席未到達ながらファームでダントツの打率を残し、そのオフのウィンターリーグではMVPに選ばれた。

このように日本時代もイチローはとてつもない成績を残していることが分かる